この連載はビートルズのファッションが当時の文化とどのように関わり、どのように変遷していったのかを考察します。今回は1950年代中頃からビートルズがレコード・デビューした1962年頃までを扱います。
1960年代初頭、イギリスの文化は大きな変革の縁に立っていました。「歴史や伝統」に対する若者の対抗意識が生み出した文化、「カウンターカルチャー」が徐々に力を持ち始めていたのです。
デザイナーのマリー・クワントや、ヘアスタイリストのヴィダル・サスーンといった若いファッショニスタが登場し、既成概念に捕らわれない若者独特の視点がファッション業界に革新をもたらします。その結果、ロンドン中心部には活気があふれ、イギリスの保守層もこの若者文化を無視できなくなりました。
このような、ロンドンの若者を中心とした一連のムーヴメントはアメリカでも話題となり、『タイム』誌(1966年4月号)が「揺れる街、ロンドン」と報じました。それ以来、この現象は「スウィンギングロンドン」と称されるようになります。
スウィンギングロンドン以前、1950年代の中頃、イギリスの若者の間で流行していったのは、テディ・ボーイ・スタイルと呼ばれるファッションでした。角ばった大き目のジャケットに対し、「ドレインパイプトラウザーズ(排水管ズボン)」と呼ばれる細身のズボンを合わせ、髪型はリーゼントであることが特徴です。
太目のシルエットが流行だったネクタイは、テディボーイスタイルの登場を機にどんどんと細くなり、ついにはリボンのように短く細いループタイにまで布地を減らしていきました。エルヴィス・プレスリーのスタイルを思い浮かべるとわかりやすいでしょう。
デビュー前のビートルズ、クオーリー・メン時代というとレザージャケットのイメージがあるかもしれませんが、彼らも結成当初はこのスタイルで演奏していました。
このことからも若者の間でいかにテディボーイスタイルが流行していたかを読み取ることができます。
このような若者ファッションの流れを変えようとしたのが、ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインでした。
ビートルズがまだリバプールを主な活動拠点にしていた1962年、エプスタインの発案でデザインされたスーツは、一見テディボーイスタイルとは程遠いものでした。
しかし、そのスーツには「細身のズボンとネクタイ」という、テディボーイスタイルの要素が残されていました。そして、もう一つの要素であった、大き目で角ばった印象のあった
ジャケットを、細身で丸みを帯びたスタイルへと変え、よりスリムで上品な印象を与えるようなデザインにしたのです。このデザインはビートルズスーツの基本形となり、これ以降も彼らのステージ衣装に取り入れられていきました。
時代が大きく変わろうとしていた1960年代初頭、文化も変化の兆しを見せていました。エプスタインは流行を取り入れつつ、ビートルズに独自のイメージを与えようとしたのでした。
(文:髙橋滉太郎 イラスト:なかにし さおり)